伝説の廃村になった村「熱田」

大型の牛を生産することが政府によって勧められた明治時代、もともと日本にいた牛と外国の牛を掛け合わせた。

小代には「ぬい」を始めとする純系の但馬牛がいた。純粋な但馬牛の集団が「熱田」にだけ奇跡的に残っていたのだ。

牛と人との暮らしの中で生まれた奇跡を紐解いていく。

伝説の廃村になった村「熱田」

牛と共に暮らす家

小代では、稲作農家のほとんどが一頭か二頭の農耕牛を飼っていましたが、農機具の機械化が進んだ昭和40年代以降は、肉用牛の繁殖農家に変わりました。最近では、肥育農家(牛肉販売までを行う一貫生産)も増えてきました。一方で、畜産農家から出る牛の糞尿を堆肥化して稲作農家が活用し、稲作から出る稲わらや畔草を畜産に活用する、循環型農業も見直されています。

純血種消滅の危機

  • 明治時代に掛け合わせたとされる乳用牛のブラウンスイス種

明治時代に入ると、小柄な但馬牛を外国の牛のように体格の大きいものにしようと、外国種との交配が行われるようになりました。ところが、体格が大きいため、狭い棚田での作業は不向きで、性格が荒く肉質も低下するなど、但馬牛への改良は失敗。純血種の但馬牛が途絶えかけました。

但馬牛の再興

戦後、元の優秀な但馬牛の血統を取り戻そうと、新しい蔓牛づくりが始まりました。小代村では外国種の交配を免れた、純粋な但馬牛の血統が奇跡的に見つかりました。その場所が陸の孤島といわれてきた「熱田」の集落。熱田集落で見つかったのでそれにちなんで「あつた蔓」と名付けられ、そこから優秀な但馬牛がたくさん誕生し、特に優れた形質を持つ種雄牛があの「田尻号」です。


Column

99.9%の事実!!和牛の原点「田尻号」のひみつ

世界的にも有名な神戸ビーフや松坂牛。その素牛は但馬牛で、但馬牛で各地に巣立ち、それらのブランドビーフになっているのです。つまり但馬牛=神戸ビーフや松坂牛だったりするのです。ここまで多くの影響を与えた『田尻号』は、まさに『和牛の原点』。日本中からその肉質の良さを評価された結果と言えます。小代が生んだ和牛界のスーパースターです!

99.9%の事実!!和牛の原点「田尻号」のひみつ

廃村となった「熱田」

冬、積雪3~4メートルになる「熱田」。

1968年2月、買い物帰りの主婦が6人が雪崩に巻き込まれ、一人が死亡した。

1968年12月、熱田の9世帯約50人が越冬住宅に集団移住。熱田からは人が消えた。

廃村になった熱田の分校



2020年3月31日。「熱田」は、自治会休止を届け出た。奇跡の村「熱田」は廃村となった。

熱田閉村式のようす

伝説の牛ができた奇跡は、普通の暮らしの中にあった

日本の和牛の原点となった小代。伝説の牛ができた奇跡は小代の暮らしの中にありました。

もっと詳しく知りたい方はぜひ、小代のガイドクラブの「和牛のルーツを巡るツアー」へご参加ください!


ガイドのようすをサンテレビの「ひょうご発信!」にて配信中!

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お土産に但馬牛を買って帰ろう!

本場の美味しい但馬牛をどうぞ。 神戸ビーフの素牛である但馬牛(たじまうし)。繁殖から販売までの一貫生産を手掛ける上田畜産がお届けする、但馬牛肉専門店「牛匠上田」ぜひお立ち寄り下さい。香美町小代観光協会すぐ横です。

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