餘部駅⇔鎧駅 ~ちいさな列車旅~

JR餘部駅から鎧駅へ、たった3分間の山陰本線列車旅。小さく切り取られた車窓からは、いつもと違う景色が見えます。かつて列車に揺られながら物語をひらめいた人、素晴らしい景色を書き留めようと筆を走らせた人もいました。タイムトリップした気分で、小さな旅に出かけてみましょう。

餘部駅⇔鎧駅 ~ちいさな列車旅~

まずは余部へ

  • 余部クリスタルタワー
  • 空の駅 旧鉄橋の線路を歩ける
  • 余部鉄橋 空の駅
  • 空の駅から余部湾を俯瞰する
  • 餘部駅
  • 道の駅あまるべ
  • 道の駅あまるべ 資料コーナー

まずは余部に到着。道の駅あまるべの駐車場に車を停めたら、余部クリスタルタワーに乗って、余部鉄橋「空の駅」やJR餘部駅のある地上41mへ向かいましょう。


<道の駅あまるべ>

地元農産物加工品や銘菓、水産加工品や干物、100年前の余部鉄橋鋼材で作った余部鉄橋グッズなどを取り揃えています。食事コーナーや、余部鉄橋の資料コーナーもあります。


<余部鉄橋・空の駅あまるべ>

1912年の完成から約100年間、JR山陰本線を見守り続けてきた余部鉄橋。2010年には新しくコンクリート橋に架け替えられましたが、JR餘部駅側の3本の橋脚は現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わりました。


<余部クリスタルタワー>

地上から余部鉄橋「空の駅」を繋ぐタワーで、約45秒で展望施設に到着します。全面ガラス張りのクリスタルタワーは、鉄橋下が見られるのぞき窓で地上41mのスリルと日本海のパノラマが楽しめます。

Column

余部橋梁の写真を撮って、香美町香住観光協会でご提示いただいた方に、余部橋梁のロゲットカードをプレゼントしています。

ワンマン列車の乗降方法

準備

餘部駅~鎧駅のJR運賃 おとな(中学生以上)片道150円、こども(小学生)片道70円

運賃は現金払いのみ。無人駅では切符が買えないため、硬貨をそのまま列車内の運賃箱に入れる仕組みです。運賃箱には両替機が付いていますが、スムーズに降りるには運賃を事前に準備しておくのがおすすめ。*整理券は乗車の際にお取りください。


その1

列車はたいてい1~2両編成でやってきます。乗る時は1両目の後ろのドアから乗りましょう。扉横の「あける」ボタンを押すと扉が開きます。乗車の際には整理券をお取りください。


その2

餘部駅を出発してすぐ、列車は余部橋梁を渡ります。北は日本海の余部湾、南は深い谷に沿って田園風景と黒瓦の集落が眼下に広がります。


鎧駅まではトンネルが3つ、ほとんどがトンネルです。トンネルを抜けて鎧駅に到着すると、急に視界が開けて海の青色が飛び込んできます。


その3

あっという間に鎧駅に到着。列車を降りる時は、一両目の一番前の扉から降りましょう。運転席後方に設置されている運賃箱へ、整理券と料金を一緒に入れてください。後ろのドアからは降りないでください。



★列車の時刻はこちら:パンフレットをチェック

鎧駅で深呼吸

  • 鎧駅から見下ろす入江
  • 海から見た鎧地区
  • 魚類運搬車軌道(インクライン)の遺構
  • 磯見船
  • 海を泳ぐ鯉のぼり

JR鎧駅は1912年3月、余部鉄橋の開通に合わせて建設されました。全国でも珍しい「海を見下ろす駅」として、鉄道ファンの間でも人気が高く、ドラマ『ふたりっ子』や『砂の器』のロケ地としても使われました。眼下に見える鎧漁港は古くから天然の良港として栄え、最盛期には三日三晩、大漁のサバを積んだ貨物列車が往復したそうです。1951年に建設された魚類運搬車軌道(インクライン)の遺構が往時をしのばせます。潮の香りの混ざる新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、駅のベンチでただ海を眺めたり、漁港へ続く坂道を下ってみたり。きっとあなたも鎧駅が好きになるはずです。

Column

海を泳ぐ鯉のぼり

毎年端午の節句の頃、鎧漁港に約200mに渡って鯉のぼりが飾られます。青い海をバックに潮風を受けて泳ぐ姿は爽快です。

海を泳ぐ鯉のぼり

山陰本線で紡がれた言葉たち

山陰本線で、さまざまな物語が生まれました。あなたも旅の印象を書き留めてみてください。


宮本輝/著(1992)『海岸列車(下)』文藝春秋 pp.130ー131

山陰本線にある無人駅「鎧」。幼い時に自分たちを捨てた母がいる場所――。育ててくれた伯父の遺志を継いで仕事に奔走する妹・かおりと寂しさを紛らわす兄・夏彦。揺れる心情を鮮やかに描く長編小説。


「たぶん、逢えないよ。たぶん、お袋が鎧にいるなんてのは、伯父の作り話さ。たぶんじゃなくて、きっとと言ってもいいな。俺は、あそこにお袋がいるなんてことは嘘だと思いながら、鎧の無人駅へ行ってた……。あの駅が好きだからな」

 すると、かおりは、相変わらず両手で持った広東語の会話集に目を注いだまま、

「私もよ」

と言った。

「東京に住んでて、毎日汚い空気を吸ってると、あの鎧の駅から入江や村を見たくなるわ。懐かしくってたまらなくなる……。まるで、小さいとき、あそこで育ったような気になってくるの」

 それは、夏彦も同じだった。けれども、そのような錯覚は、所詮、母のまぼろしが、あの海辺の小さな村に存在するからだと思うのだった。

「風情だとか、たたずまいとかってのは、偶然の産物じゃないよ。それは、日本にいるとわからないな。外国の、いろんなところに行くとわかる。風情、たたずまい……。人間や自然や、その土地や国土に染み込んだ思想や……、そんなものが絡み合って、かもしだされてくるんだな。風情なんてかけらもない、立派な公園や広場や名所旧跡に行くと、なんだか腹が立ってくる」

 夏彦は、自分が何を言いたくて、そんなことを喋り出したのかわからなくなり、口をつぐんだ。

「鎧には風情があるわね。毎日、あそこで暮らしてる人には、退屈でうんざりするような風景だろうけど」

 とかおりは言った。

「俺とお前とが、好みの一致をみたのは、これが初めてだな」

 わざと皮肉っぽい言い方をすることで、夏彦は鎧に関する話題から離れようとした。


遅塚金太郎/著(1913)「山陰游紀」『山水供養』春陽堂 pp.59ー60

遅塚麗水(1866ー1942)。静岡県生まれの紀行文家。本名、金太郎。山岳文学の先駆とされる「不二の高根」や紀行文「日本名勝記」を著した。「山陰遊紀」では、1912年に鳥取市で行われた山陰本線開通式に向かう道中の汽車旅を描いている。香住駅で先発機関車の脱線による修理を待つ間、大乗寺を訪れ、夕方になってようやく汽車が動き出す。


黄昏六時半、線路の修復わずか成りて汽車始めて発す、山を貫き海に臨みて隧道また隧道、隧道作るところ、常に山色海光の明媚ならざるはなし、およそ湾あり、島なきはなく、島に松なきはなく、蟹舎蜑荘まことに絵のごとし、鎧駅を過ぎて余部の大陸橋となる、弁天、荒神両山の峡谷を横断して長さ一千十五フィート、高さは実に一百二十フィートあり、本邦嚆矢のトレッスル式と称す、眼を放てば北は光洋たる大海を望み、俯瞰すれば高木は薺(なずな)よりも小に、山村水郭、折からの落暉に映ずるさま、敲残せる楸枰盤上の黒白子錯落よるところなきに似たり。


蟹舎蜑荘……漁師や海女の小屋

山村水郭……山間の村と水辺の村、田舎の村々

落暉……夕日、落日

楸枰盤上……碁盤の上


2001年冬の「青春18きっぷ」ポスター・チラシ

心に寄り添うキャッチコピーが旅情を誘う。


なんでだろう、涙がでた。

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